戦争の悲惨さを知り、平和を祈る 「人間魚雷『回天』大神訓練基地跡」

2022/05/22

# 日出町

太平洋戦争の局地を切り抜けるために生まれた兵器

県内には戦争の遺跡が残る場所がいくつもあり、戦争の傷跡や人々の苦しみを感じ、歴史を学ぶことができます。
日出町には戦争遺跡の一つとして、人間魚雷「回天」の基地跡が残されています。

 

 

人間魚雷「回天」とは、真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争の末期、沖縄での敗戦が濃厚になり、日本本土への空爆も始まった頃、劣勢に立たされていた日本海軍によって開発された特攻兵器です。
敵に少しでも被害を与えるため、兵器庫に眠っていた何百本もの九三式魚雷を改造して、人が一人入れる魚雷を設計し、自らが操縦し、敵艦に体当たりするという海軍版の特攻隊が作られたのです。
「回天」には、脱出装置がついていないため、出撃すると体当たりに失敗したとしても生還することはできません。非人道的な仕組みとなっていました。

 

 

1944年に山口県の大津島、光、平生、1945年には出撃に際し、地理的に優位であることから大分県日出町大神に訓練基地が開設され、285名の「大神突撃隊」が開隊されました。そのため今も日出町には基地跡が残っています。
「回天」は「天を回(めぐ)らし戦局を逆転させる」という意味から名付けられました。
歴史を知っていればわかる通り、もちろん戦局を逆転させることなどできず、全国で1000名以上もの犠牲者を出すこととなりました。
終戦間近の1945年8月3日には大神基地から唯一の出撃があり、8名の隊員が愛媛県へ輸送されましたが、待機命令を受けたまま終戦を迎えることとなりました。

 

 

回天神社(住吉神社)と記念公園で歴史をより深く学ぶ

大神の基地跡には、水雷壕、回天格納庫、実用頭部格納庫の横穴が残る丘の上には回天神社があります。大神基地隊員の精神的支柱でもあった神社は、太平洋戦争後、残務処理で残った隊員たちによって、住吉神社の境内に遷されました。
境内には回天の3分の1の模型と、海中から引き上げられた九三式魚雷後部が展示されています。

 

 

神社では全国の「回天」の搭乗員や整備員などの戦没者が祀られています。

開隊日である4月25日を例祭の日と定め、毎年慰霊祭が執り行われています。

 

 

大神基地は約25ヘクタールもの広さがあり、基地跡にはそのほか、回転に搭載する圧縮酸素を製造するポンプ等を設置していた酸素圧縮ポンプ室跡や、変電所跡、魚雷調整場など多くの遺構が残されています。
2014年には魚雷の水漏れ等を検査する魚雷調整プールの遺跡がある場所に、「回天」の実物大模型が設置されています。

 

 

全長が14.75m、直径が1m、航続時間は2時間15分で、時速は30ノット(約56キロ)しか出なかったそうです。
上に伸びているのが特眼鏡。ここを覗きながら、特攻する方向を決めるのです。

 

 

2015年には、模型の周辺が「回天大神訓練基地記念公園」として綺麗に整備されました。
現在はさまざまな戦争に関する資料の展示が行われ、子どもたちが戦争について学ぶことのできる場所にもなっています。
戦争の悲惨さを知り、2度と同じ過ちを起こさないためにも、家族で平和について考えてみてはいかがでしょうか。

■人間魚雷「回天」大神訓練基地跡
住所|大分県速見郡日出町大神5673-55(回天大神訓練基地記念公園)

 


 

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