海と桜並木に癒される「日出城址」
木下延俊によって築かれた海を望む城
別府湾を望む海沿いにある「日出城址」。
ここは、1602年(慶長7年)に、姫路城の城代も務めた日出藩の初代藩主の木下延俊によって築城されました。
木下延俊は、関ヶ原の戦いでの功績により、豊後国日出三万石を与えられました。そこで入国後、直ちに築城に取り掛かり、1年後の慶長7年に入城したと言われています。
城の設計は、義理の兄で後の豊前小倉藩の初代藩主となる細川忠興が行い、石垣の構築は、家臣で築城の名手と呼ばれた穴生理右衛門(あのうりえもん)が、自然の石をそのまま積み上げていく野面(のづら)積みで築き上げました。
木材は鹿鳴越のものを使用したと言われています。
1874年の取り壊しまでは、城内に三層になる天守閣をはじめ、二層の櫓が5箇所、平櫓もありました。
本城を中心に、二の丸、三の丸、外郭と三重の構えを備えており、外部には武家屋敷や民家を取り入れていました。
現在は城址だけとなっていますが、野面積みの石垣や、天守閣跡、お堀跡などが現存しており、当時のありし姿を想像することができます。
そして城内の階段を上っていくと現れるのが、なんと学校!
初めて日出城址を訪れた方はびっくりされるかもしれませんが、城内には日出小学校が建設されているのです。
正門の横には、豊後日出藩出身の儒学者で、三浦梅園、廣瀬淡窓とともに「豊後三賢」と称された帆足萬里と、
代々日出藩の要職を務めた瀧家出身で「荒城の月」で知られる瀧廉太郎の銅像があります。
日出城は、別名「暘谷城(ようこくじょう)」とも言われます。これは、三代目の藩主木下俊長が、「淮南子(えなんじ)」という中国の古い書物の一節、「日は暘谷より出でて咸池に浴す」より引用したと言われています。
日出城は春には桜が咲き、別府湾の美しい風景とともに楽しむことができます。
ベンチやテーブルなども設置されていますので、お花見に最適。
また本丸の下の海の中には、真清水が湧く一帯があり、日出町の特産品である「城下かれい」の生息地として知られています。
城下かれいは、マコガレイのこと。徳川将軍家への献上品としても重宝された殿様魚です。
日出城址の周辺には城下かれいを味わえるお店もありますので、城めぐりのついでに立ち寄ってみてください。
歴史資料館を訪れて、日出町の歩みをもっと学ぼう!
日出城址と一緒に巡っておきたいのが、「日出町歴史資料館・帆足萬里記念館」です。
日出町にあった旧萬里図書館跡地にある資料館には、帆足萬里記念館を併設
旧日出藩出身の帆足萬里の功績や、写本といった貴重な文献などを見ることができます。
さらに、資料館には、豊臣秀吉に仕えていたという日出藩主の木下氏が、秀吉より受け取ったという「豊臣印章」や、縄文時代の遺跡である早水台遺跡の出土品など、日出町に残された歴史資料を展示しています。
入館は無料となっています。
また、資料館の向かいには、鬼門櫓が。
こちらは日出城本丸の北東側に位置していた櫓だったのですが、こちらに移設されました。
当時は北東の方向は「禍を招く」鬼門であると嫌われていました。
これを避けるために角を直角にしない隅欠きという技法が施されています。
鬼門櫓も中に入ってみることができるようになっています。
中には櫓に関する資料の展示もありますので、こちらもぜひ立ち寄ってみてください。
■日出城址
住所|大分県速見郡日出町2610
■日出町歴史資料館・帆足萬里記念館
大分県速見郡日出町2602‐2
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