和尚さんが手彫りした!?「青の洞門」

2021/10/24

# 中津市

■紅葉の名所にある、歴史あるトンネル
紅葉の名所であり、耶馬渓を代表する名勝としても知られる競秀峰の裾にあるのが、「青の洞門」と呼ばれるトンネルです。

文藝春秋、芥川賞、直木賞などを設立した菊池寛氏の短編小説「恩讐の彼方に」でモデルとなるなど、「青の洞門」は全国的にも知られる耶馬溪の人気観光スポットとなっています。

この「青の洞門」がなぜ歴史的価値があり、観光スポットとして人気なのかというと、実はノミと槌だけを使って掘り抜いた手彫りのトンネルだからなのです。

それがどれだけ大変なことか、想像できますか?
今と違い、人や馬が通ることができるほどの穴を手彫りで掘っていくには相当な労力が必要です。

 

 

では、なぜ苦労してまでトンネルを作ることに決めたのか、ここからは誕生のヒストリーをご紹介します。

 

 

 

■難所で命を落とす人を救いたいという一心で
手彫りでトンネルを作ろうと決めたのは、江戸時代、諸国巡礼の旅の途中に耶馬溪を訪れた禅海和尚。
「青の洞門」があるエリアは、川の水位が高く、通行人たちは奇岩群が連なる競秀峰の岸壁に設置された鉄の鎖を命綱にして渡らなければなりませんでした。
危険なルートのため命を落とす人や馬を見た禅海和尚は、なんとかできないかと、1735年から洞門を掘る工事を始めたのです。

 

 

ノミと槌を手に、雇った石工たちと一心不乱に掘り続けること約30年。長い年月をかけ、1764年に完成しました。
ノミと槌だけで掘り抜いた長さは約342メートル、そのうちトンネルの部分は約144メートルでした。

 

 

ちなみに1750年には第一期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てたことから、日本初の有料道路だと言われています。

また1906年から1907年にかけて行われた大規模な改修により、禅海和尚が貫通させた当時の原型とはかなり変わっているものの、トンネルの一部で明かり採りのための窓や壁面にノミの跡を見ることができますので、ぜひ探してみてください。

 

■トンネルは歩いて巡ってみよう
「青の洞門」は車で通り抜けることもできるのですが、禅海和尚が手彫りした旧道は徒歩でなければ通ることができません。
河川沿いに大きな駐車場がありますので、そこに停めて、禅海和尚が長い歳月をかけて掘り進めた悲願のトンネルを、噛み締めながら歩いてみてください。

駐車場の近くには禅海和尚の像もあるので、こちらもチェックしてみてくださいね。

 

 

また、「青の洞門」の上にそびえる競秀峰は、耶馬溪を代表する景観です。
そのダイナミックで迫力のある姿も魅力ですが、秋には赤や黄色に染まった木々が美しく、さらに魅力的な姿へと変貌します。

 

 

さらに春の時期は山国川を挟んだ対岸にネモフィラが咲き、可憐なブルーの絨毯が広がります。可愛らしいネモフィラと勇壮な競秀峰のコントラストもまた素敵ですので、こちらもお見逃しなく。

紅葉やネモフィラが咲く時期を目掛け、ドライブに出かけてみてください。

 

 


 

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