日本100名城の一つ! 今だけ光輝く「府内城」
■日本100名城の一つ! 今だけ光輝く「府内城」
大分駅から徒歩10分。大分市の中心市街地にある「大分城址公園」。昭和41年に整備されて以降、市民の憩いの場として親しまれ、桜が咲き誇る春は花見に多くの人が訪れます。
そんな「大分城址公園」には、約400年前まで日本100名城の一つに数えらる「府内城」が建っていました。大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面していた「府内城」は、白土の塀と、まるで水上に浮かぶその姿から、「白雉(はくち)城」とも呼ばれています。
今回は「府内城」の歴史を紐解いていきます!
■400年以上も前に誕生した「府内城」
「府内城」は、約400年に渡ってこの地を治めていた大友氏の時代が終わったあと、慶長2年(1597年)に石田三成の娘婿・福原直高が豊臣秀吉からの命を受け、築城をはじめました。
築城したのが現在の荷揚町。北を海に、東は大分川河口に面し、当時大分川の河港だった荷揚町は「荷落(におろし)」という地名だったのですが、築城後は縁起を担いで「荷揚」と改称したと言われています。
福原直高は、2年後の慶長4年(1599年)に府内城の本丸、二の丸(三重櫓)、三の丸(家臣屋敷)までを建て、その後慶長6年(1601年)に城主となった竹中重利が府内城の修増築と城下町の建設をスタート。
防備を固めるため、石垣を築いたほか、四重層の天守、櫓、武家屋敷を造り、慶長7年(1602年)に完成。名前を「府内城」と改めました。
同時期に城下町の整備も行われており、今の大分市中心部の姿はこの頃に出来上がったと言われています。
城が完成してから約140年後の1743年。
城下からの出火によって、残念ながら天守を含む城のほとんどの施設が焼失してしまいました。
そのため現在は堀や石垣などだけが残るのみですが、現存する「宗門櫓(しゅうもんやぐら)」と「人質櫓(ひとじちやぐら)」は、県指定文化財に。またそれ以外の石垣や堀、土堀なども市指定の史跡として保護されています。
■焼失した天守閣が夜だけ復活!?
1743年に焼失したのち、再建されることがなかった「府内城」の天守。そんな「府内城」の姿が今だけ、そして夜だけ復活!?しているんです。
「府内城跡地」である大分城址公園内に現れたのは、青と白の光で輝く天守。
こちら「府内城」の天守を金属製のパイプを用いて、「豊後府内城之絵図」などを参考に当時の姿を再現。高さ29m、幅約25m、奥行約23mの天守に約7万球のLEDを巻きつけてライトアップ!
幻想的な天守の姿を見ることができるんです。
仮想天守イルミネーションは期間限定で、2020年の2月14日まで!
毎日17時〜22時までライトアップされています。
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