竹田出身の童話・童謡作家の世界を感じる「佐藤義美記念館」へ

城下町・竹田市には、荒城の月の作曲者「瀧廉太郎」や日露戦争の海軍少佐で軍神と称された「広瀬武夫」などの偉人が存在していましたが、もう一人、竹田を代表する偉人として知られているのが、「佐藤義美」です。
彼は誰もが知っているあの名曲「いぬのおまわりさん」や「アイスクリームのうた」などの童謡詩を手掛けた人物。その義美氏の数々の作品をはじめ生涯を知ることができる資料館が「佐藤義美記念館」です。
童謡作詞家・童話作家・詩人であった義美氏は、明治38年に竹田市で生まれ、15歳のときに竹田で過ごし、父の転勤により横浜へ。すでに10代半ば頃から、詩や童謡を書き始めていたそうです。
その後、早稲田大学へ進学。勉学に励むかたわら執筆活動を行い、19歳の時に児童文芸雑誌「赤い鳥」「童話」へ童謡の投稿をはじめ、20歳で同人雑誌を創刊するなど、若かりし頃からその頭角を現していたようです。大学、大学院を卒業後は国語や作文の教師を務め、その間にも童話集を多数発刊。約8年教員生活を送った後、昭和16年に出版に関する国の機関である出版社に勤務し1年ほどで退職。それ以後は自身の執筆・創作活動に専念することに。
独立し、自身の執筆活動を本格的に始めた頃は、日本が戦争によって多くの人々が犠牲となった時代。彼自身も戦争を体験したこともあり、のちの作品には戦争や平和などをテーマにした作品も多くみられるそうです。
そして義美氏が55歳の時に、冒頭でも触れた童謡「いぬのおまわりさん」が発表されます。以降、日本中の子どもたちに愛され佐藤義美を代表する作品のひとつとなりました。
数々の作品や貴重な原稿、愛用品などを展示
「佐藤義美記念館」は、平成10年に開館。義美氏の愛弟子である稗田宰子さんが義美氏の師匠の功績を多くの人に知ってもらおうと、自費で設立したものなんだそうです。
大正ロマン漂う洋館が印象的な記念館は、義美氏が61歳の時に、神奈川県逗子市で手に入れた仕事場を再現・イメージして作られています。
館内の2階には義美氏が手掛けた作品や資料の数々を展示されています。
作品や生原稿のほか当時愛用していた衣類、名刺やペン、ノートなど、様々なものが展示されています。
義美氏の知人が作ったという、彼の等身大のステンドグラス。身長は177㎝、体重は50㎏もなかったそうで、とてもスレンダーな方だったのでしょうね。
愛用のジャケットや帽子なども。若い頃はイギリスのスコッチの洋服を着ていたそう。とてもおしゃれな方だったことがうかがえます。
晩年を過ごした書斎も再現
2階の一角には、逗子の書斎が再現された部屋もあります。落ち着いた雰囲気の書斎には当時使われていたステレオやレコード、使い込まれた机などがあり、日々自分の居心地の良い場所でじっくりと執筆活動をされていた義美氏の面影を感じます。
多くの子どもたちに時代を超えて親しまれてきたその作品の数は3000を超えるのだそう。義美氏がつづった、時代を越えて受け継がれる童謡や童話の魅力やルーツを感じに、竹田散策のスポットとしてぜひ訪れてみてくださいね。
■佐藤義美記念館
竹田市竹田1735番地
TEL:0974-63-2650
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