城下町中津の散策に立ち寄りたい由緒ある寺、「合元寺」と「自性寺」
大分県内各地にある城下町のひとつ「中津城下町」は、武将・黒田官兵衛の時代に、ある程度の町割りがなされ、その後、細川忠興の時代にそれまでの町割りが受け継がれたといわれています。
中津に限らずですが、多くの「城下町」は、軍事的な防衛を考慮しつくられているのだとか。中津の城下町も、中津城の玄関口は商人の町、下級武士の屋敷は城の東南や北西の外側、というように、敵から国を守るという意識のもと構成されています。
また、城の外郭沿いには神社や寺などの仏閣が多く見られるのは、もしも戦闘があった際には広い境内や建物を利用できるように考えられていたからだという説もあります。
江戸の薫りを今に伝える中津の城下町は直線的な町割りが特徴。「中津城」をはじめ、歴史情緒たっぷりな見どころが多数あります。今回はそんな中津城下町散策にオススメの寺をご紹介しましょう。
リアルな戦いを感じさせる「赤壁」が特徴の「合元寺」
中津駅から徒歩で約15分。深い赤色に塗られた壁が、城下町のなかでひと際目を引く「合元寺」。別名「赤壁」とも呼ばれ、1587年に黒田官兵衛によって建てられました。
なぜこの壁は赤いのか・・・。そのルーツは豊臣秀吉が権力を持つ時代、豊前の実力者「宇都宮鎮房(しげふさ)」という人物が、激しい騙し討ちにあい、寺を宿舎にしていた家臣が全員討ち死した際、白壁に返り血がついたのだとか。一説によると、何度も白壁に塗り替えても血の痕が浮き上がることから、赤塗りにしたという言い伝えもあります。
境内にある大黒柱には当時の戦いを物語る刀傷が残っており、リアルな激戦の様子を知ることができます。また3つのお願いごとを聞いてくれるという「お願い地蔵」がある場所としても知られています。
日本を代表する画家「池大雅」の書画が展示されている寺「自性寺」
次にご紹介するのは、「合元寺」から車で5分ほどにある、中津藩主の奥平家の菩提寺であった「自性寺」です。1577年に「金剛山万松寺」という名で創建され、1717年に6代目の藩主・昌成により中津へ移り、1745年に「自性寺」の名に改められた由緒ある寺。石造りと白壁が、城下町ならではの風格と雰囲気を醸し出しています。
こちらの寺の特徴は、江戸時代の画家・書家の「池大雅(いけのたいが)」の書画が展示されている場所があることです。この書院は「大雅堂」と呼ばれ、貴重な作品を目にすることができます(観覧は有料)。
また、自性寺近くに続く中津城下町の一つ、「諸町(もろまち)」地区あたり一帯は、武家屋敷の街並みが残る場所。商家が連なっていた古き時代の佇まいが感じられます。この通り沿いには「南部まちなみ交流館」もあり、地域の観光情報を得たり、休憩スポットとして利用できます。城下町散策のオススメのスポットや散策の方法をたずねてみるといいですよ。
趣の異なる2つのお寺、ぜひ中津城下町を訪れたときは立ち寄ってみてくださいね。
■「合元寺」
中津市寺町973
■「自性寺」(大雅堂)
中津市新魚町3-1903
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