医学を貫き芸術も愛した、城下町の藩医の家「佐野家」
江戸から続く、名医の家
「九州の小京都」とも呼ばれる、杵築市の城下町。古の時を感じる石畳や古い建物が続く町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」にもなっており、江戸時代の面影を今に伝える、多くのスポットが残されています。また杵築は、学問や芸術などに高い関心を風土があったとされ、数々の著名人を輩出した地域としても知られています。
歴史深き町並みには城下町には「大原邸」や「磯矢邸」などの邸宅が点在していますが、『佐野家』は、杵築市役所から北にすすみ、「ひとつ屋の坂」を上った先の一角にあり、城下町で約400年、代々医家として名を馳せた家です。
佐野家の始まりは慶長8年(1603年)。始祖である佐野徳安(とくあん)は、伊賀国名張群(現在の三重県)に生まれ、元和元年(1615年)に、大坂夏の陣の後の騒乱を避けるため豊後岡藩(竹田市)の範囲であった伯父の佐野卓節(さのたくせつ)のもとに身を寄せます。その後、医学を学んだのち、杵築で医師として活躍したそうです。
その名医ぶりは「刀圭ノ妙、神ノ如シ」と言われ賞賛されるほど。噂をきいた、初代藩主・小笠原忠知(ただとも)は、城下町の西町に邸宅を与え、侍医者として召し抱えたのが、佐野家の歴史始まりといわれています。
時代を物語る、医療機器や器具の数々
天明2年(1782年)に建てらた佐野家は現在、城下・杵築で最も古い邸宅であり、武家屋敷とはまた異なる趣で人気の散策スポットのひとつです。
邸宅内には、診察室のあった部屋や座敷があり、様々な薬を入れておくための薬味箪笥が。
昭和38年ごろに使われていたとされるレントゲンの機械や、診察器具なども展示されています。
診察で使われていた診察台や体重計。レトロな雰囲気に当時の医院の様子がうかがえます。
三浦梅園や田能村竹田との交流を物語る展示品も必見
佐野家が興味深いのは、医師として名高いだけでなく、詩文や書画、茶道、俳諧など多方面の著名人を輩出したという点です。医師であり、思想家・哲学者でもあった「三浦梅園」や絵江戸時代後期の文人・画家「田能村竹田」とも深く交流があり、佐野家の家号「洞達亭」は三浦梅園が名づけたと言われ、その交流の証とされる書などが多数のこされています。
長きにわたり「医者の家系」として、代々杵築の人々の命を救い守る偉業を極め続けてきただけでなく、様々な芸術も愛する、佐野家の供与の高さと功績を物語る展示品の数々は一見の価値ありです。
■佐野家
杵築市杵築329
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