歴史遺産が小学校の校門に! 「藩校の門」

2023/05/07

# 杵築市

藩校模型図でありし日の姿をみる

 

北台武家屋敷群の通り沿い、磯矢邸の向かい側にあるのが、「藩校の門」です。杵築市内に現存する門の中ではもっとも規模が大きく格調高い門といわれているこちら、実は杵築小学校の校門も兼ねた立派な歴史遺産なのです。

 

約200年間、北台武家屋敷の中心に建つこちらの門は、江戸時代にあった藩校「学習館」の「藩主御正門」で、杵築のシンボル的存在となっています。

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杵築藩の初代藩主である松平英親は、学問に力を入れてきました。その後も代々学問に力を入れてきた松平家は、1788年、7代目藩主・親賢の頃に三浦梅園からのアドバイスにもと付いて、藩士の子弟を教育するための藩校「学習館」を設立。

 

漢学、国学、洋学、算術、筆道、兵学に始まり、弓術、馬術、槍術、砲術、柔術、棒術まで13科目の学科が用意され、士族の子弟が教育を受けることができるのはもちろんのこと、平民の子弟も藩校へ通うことが許可され、広くあまねく学問に触れることができるように整備したのです。

 

藩校「学習館」の教授には、豊後三賢として知られる三浦梅園や帆足萬里にゆかりある元田竹渓や物集高代世らを起用。親賢もたびたび藩校へと足を運んでは授業を聞き、また自ら講義も行いながら、藩内の学問に対する情熱を高めていったといわれています。

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当時、生徒は約80名。そのうち30名近くが寄宿生で、経費は全て藩費でまかなわれていたそうです。

 

「学習館」は明治4年(1871年)の廃藩置県により廃校となってしまいましたが、約80年間藩主が中心となって質の高い教育を行うことに力を注いだ結果、数多くの優秀な人材がここから輩出されたと言われています。

 

そんな「学習館」についてもっと詳しく知るには、「藩校の門」を抜けた先の、小学校の敷地内にある藩校模型学習館を訪れてみてください。

 

ここでは「学習館」の復元模型を無料で展示・公開しています。見てみると、その広さからも、学問への力の入れようを伺い知ることができますね。

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現在でも杵築小学校の校門として勉学に励む子どもたちを迎え入れている「藩校の門」ですが、この門のように、昔から変わらず今でも同じ学校の門という用途で使われ続けているのは全国的にみてもとても珍しいそうですよ。

 

北台武家屋敷群をみて回るついでに、こちらもぜひ立ち寄ってみてください。

 

 

■藩校の門

大分県杵築市大字杵築

 


 

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