杵築城と海を望む絶景の邸宅「一松邸」
杵築市名誉市民の私邸
「きつき城下町資料館」の隣に建っている「一松邸(ひとつまつてい)」は、杵築市の初代名誉市民となった
一松定吉の邸宅です。
昭和32年(1957年)に杵築市に寄贈され、その後は「一松開館」として市民に親しまれていました。
しかし、市庁舎の移転に伴って、現在の高台の地に移築され、保存・継承されています。
では、杵築市初の名誉市民となった一松定吉は、どのような人物だったのでしょうか。
一松定吉は、現在の豊後高田市である西国東群美和村の出身。
神職である波多宗直の次男として誕生しました。
明治28年(1895年)には、現在の大分大学である大分県師範学校講習科を卒業し、小学校教師の職に就き、
24歳で杵築藩の剣術や槍術の指南役務めていた一松家の後継として養子に入ります。
その後明治32年(1899年)には上京して浅草で小学校教師を続けながら、明治法律学校(現:明治大学)で学び、
明治36年(1903年)に判事・検事登用試験に合格。
長崎や大分、横浜、大阪など全国各地での検事を経て、最高検察庁である大審院の検事を務めるなど、
18年間検事として活躍した一松定吉。
大正9年(1920年)には弁護士に、昭和3年(1928年)には大阪1区から衆議院議員総選挙に出馬し当選。
昭和22年(1947年)まで8回の当選を果たしました。
さらには昭和25年(1950年)からは参議院議員となり、国務、逓信(ていしん)、厚生、建設の各大臣を歴任。
政界では34年間活躍し、昭和48年(1973年)に逝去しました。
美しい木造建築と絶景を堪能
法曹界や政界で活躍した一松定吉の私邸は、2年間の歳月を掛けて建築されたと言われています。
武家屋敷様式の特徴である無節・柾目(まさめ)の松坂を用いたお縁と、杉の木を用い、約10mの長さのある
縁桁や、書院の障子の組子には「松皮菱」と言われる身分の高い者しか用いることができなかったという模様の
一つが使われているなど、高級な木材や格式の高いデザインを取り入れた贅を尽くした建物は見事です。
離れの部屋は中央に柱がない造りになっており、襖をしめることで3部屋に仕切ることができるようになっています。
その離れの部屋から見ることができるのが、杵築城と守江湾を望む美しい景色。
晴れた日には国東の方まで見ることができる、まさに一等地です。
こだわり尽くされた建築美とともに、清々しい風景もお楽しみください。
■一松邸
大分県杵築市南杵築193-1
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