県下で唯一現存する藩校「到道館」
日出藩の教育を支えた貴重な教育遺産
観光案内所を有する日出町の「二の丸館」から歩いて3分ほど。住宅街の中に現れる木造2階建ての歴史的な建物が、「到道館」です。
ここは、安政5年(1858年)に、日出藩の十五代藩主である木下俊程の命により、日出城二の丸に創立された日出藩の藩校です。
日出藩で学問が盛んになったのは、三代藩主、俊長の治世。俊長は、産業の振興や社寺の改築、建立などに努めるなど内治に意を注ぎ、また幕府の儒官に師事して儒学を筆頭に学問を学び、士民にも学問を奨励しました。俊長は日出藩の文教の礎を築いたと言われています。
学問の高まりを受けて、十三代藩主の俊敦の時代には豊後三賢の一人である帆足萬里とその高弟米良東嶠(めらとうきょう)を教授とした「稽古堂」や、「学問所」が創設されていました。
十五代の俊程はこれを受け継ぎ、藩子弟の不学惰弱を改めるため、藩子弟の義務的教育を施す藩校の創立を命じ、武士だけでなく一般にも広く門戸を開放しながら学問の振興に力を注いだと言われています。
創立当時は「到道館」という名称はなかったそうですが、後に孔子の「論語」に書かれた「君子学びて以て其の道を致す(人々の手本であるべき君子は、学問によってその道を極める)」に因んで命名されたと考えられています。
「到道館」には8歳以上になると入学することができ、漢学、和学、洋学(オランダ語)、医学、算学、筆道、習礼、兵学、弓術、馬術、槍術、剣術、柔術、棒術を学び、礼節や道徳を尊重することも大事にしていたそうです。
明治時4年(1871年)、日出藩の廃藩とともに、閉校を余儀なくされてしまった「到道館」。その後は暘谷女学校、杵築区裁判所日出出張所、日出町役場、帆足記念図書館などに転用されてきましたが、昭和26年(1951年)に日出中学校の開設に伴い、現在の場所に移築保存されました。
大分県で現存する唯一の藩校として史跡にも指定されている「到道館」は、入場無料で見学が可能。
館内には当時の写真や間取り図、また昭和と平成にかけて行われた大修復の様子を写真で追うことができます。
窓からは別府湾を望む景色が一望でき、とても開放的。
建物の二階にも上がることができます。ここでは寄宿舎生活を送る藩生たちが寝泊まりをしていたそうですよ。
ここで多くの藩生たちが学びを深めていたのですね。
当時使われていた道具や教科書の展示があるわけではありませんが、日出城址の観光に訪れた際には、在りし日の学校風景に思いを馳せながら、大分県に残る教育遺産を見学してみてはいかがでしょうか?
■到道館
速見郡日出町2594-3
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