城下町に佇む、歴史ある武家屋敷「稲葉家下屋敷」
臼杵藩5万石の旧藩主・稲葉家
「旧臼杵藩主稲葉家下屋敷」は、1902年頃、廃藩置県に伴って東京へと移住することとなった稲葉家の里帰りのための住まいとして建築されました。
稲葉家は、約270年間臼杵藩を統治していたお殿様です。
慶長5年(1600年)に、家康に味方していた初代の稲葉貞通が関ヶ原の合戦において軍功を挙げ、現在の岐阜県の郡上八幡城から臼杵へと国替えとなり、以来、明治4年(1871年)十五代の久通の時代に廃藩置県を迎えるまで臼杵藩を統治していました。
稲葉家は、東京に移住しても旧国立第百十九銀行や旧臼杵藩士族の会社「留恵社」への出資を行うなど臼杵の経済に影響を与えたほか、今でも残る質素倹約、勤勉といった臼杵人の気質にも影響を与えたと言われています。
稲葉家の格を感じる武家屋敷
そんな臼杵の歴史を語る上で欠かすことのできない稲葉家の歴史を感じることができる場所が国登録有形文化財に指定されている「旧臼杵藩主稲葉家下屋敷」です。
屋敷は近代に入ってから建築されていますが、武家屋敷の様式を色濃く残しています。
門をくぐって中に入り、玄関を抜けると「大書院」があります。敷地の中央にある「大書院」は、最初にお客さんを迎え入れる「表」空間として機能した建物です。畳の大広間の向こうに見える日本庭園の緑が美しいですよね。
「上の間」には長押(なげし)が回されており、格式を重視する武家屋敷の様相を見てとることができます。
一時期は料亭として利用されていたこともあったそうですが、全体的に構造に手を加えられることはなかったため、旧大名の格式を窺い知ることができる、規模の大きな書院となっています。
続いて奥へと進むと、「御居間棟・台所棟」の建物です。ここは「奥」空間の中核となる建物で、稲葉家の当主が滞在している時にはこの「御居間棟」で寝起きしていたのではと考えられています。
こちらの部屋でも床の間や長押等の装飾から武家の格式を感じることができます。
土間にある吹き抜けは、かまどの煙で屋根裏をいぶすための工夫の一つと言われています。
「台所棟」から外に出ると「土蔵」が。
ここには一時稲葉家の重要な資料を収めていたと言われ、ここでは現在「cafe 凡と凛」が営業されており、ランチやスイーツを楽しむことができます。
また、「大書院」から日本庭園に出て行くと、「旧平井家住宅」が。
こちらも「旧臼杵藩主稲葉家下屋敷」と一緒に見学することができます。
「旧平井家住宅」は安政6年(1859年)に建てられたとされる、上級武士の住まいです。
江戸時代には上級藩士である稲葉家の居宅として使用されており、客人用の表玄関、家人用の内玄関に分かれた二つの玄関や、天井の桟が床の間に直交している「床差しの間」を見ることができます。
こちらも江戸時代の建築様式が残っています。
歴史を学ぶとともに、建築の素晴らしさも実感することができる「旧臼杵藩主稲葉家下屋敷」。新緑の時期も良いですが、春には日本庭園にある梅の花が咲き、美しい光景を見せてくれますので、手入れされた庭園の風景を見に訪れるのも良いですね。
「cafe 凡と凛」や、隣にあるギャラリーなども一緒にお楽しみください。
■旧臼杵藩主稲葉家下屋敷
臼杵市大字臼杵6番6
0972-62-3399
稲葉家下屋敷もある「臼杵市」で賃貸物件をお探しの方はコチラ
▼他の種別の賃貸物件を探す